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論理展開とは何か

論理展開という言葉がある。文章術の本を読むと「伝わる文章を書くには論理展開が大切」と書かれていたり、Amazonのレビューや書評サイトをみると「この本は論理展開がメチャクチャで何を言ってるのかわからない」と言われたりする。ところが、どの文章をみても「論理展開とは何か」という問いに答えていない。

こういうときに頼るのが辞書だが「論理展開」の定義は載っていなかった。しかたなく「論理」と「展開」の意味をそれぞれ調べることにする。

論理
① 思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。
② 認識対象の間に存在する脈絡・構造。

 

展開

① (次々と物事を)繰り広げること。また,広げて事が行われること。「面白い場面が―する」
② (順や筋を追って)発展すること。進展すること。また,発展させること。「主題を―する」「多様な外交を―する」
③ 目前に広がりあらわれること。「目の前に―する大パノラマ」
④ 軍隊で,密集した隊形から,散開した隊形になること。
⑤ 〘数〙単項式と多項式の積あるいは多項式と多項式の積の形の式を,分配法則を使って単項式の和の形にすること。 ↔因数分解一つの関数を級数の形に表すこと。多面体・柱体・錐体などの表面を切り開いて一平面上に広げること。

 出典:スーパー大辞林

この定義から考えると論理展開とは「情報を伝えるための手順」ということになる。要するに「起承転結」「序論 本論 結論」などの「型」のことだ。しかし、それは「論理の展開」ではなく「文章の展開」ではないか。もしくは「論の展開」だ。

論理といえば、演繹と帰納のことだ。「論理展開」などと言われると、すべての文章を演繹と帰納のルールで書かなければならないと思ってしまうが、そういうことではないらしい。

このような曖昧なことばで何かを説明するのはやめてほしいものだ。

ペットの擬人化に思うこと

東京の八王子で祖父母の家に預けられていた生後10ヶ月の女の子が、室内で飼われていた4歳のオスのゴールデンレトリバーに頭を噛みつかれ死亡したというニュースを見た。

犬や猫などペットを飼っている人の中には動物を家族の一員ととらえ、人間と同じように扱うことがある。だが所詮、彼らはケモノだ。どれだけ躾けても、何かのきっかけで野生の本能が目覚めることがある。

私も動物好きだが、動物を人間と同じように扱ったことはない。時折見せる人間ような表情に愛くるしさを感じることはあるが、あくまでも犬は犬であり、猫は猫である。

動物を擬人化し始めたのはいつ頃だろうか、歴史を調べればおそらく神話の時代までさかのぼらなければならないだろう。今はアニメやゲームの影響が大きいと考えられる。彼らはディズニーのネズミや、くまのプーさん、ポケモンなどのキャラクターと本物の動物との区別がつかなくなっているようだ。

最近は、けものフレンズというアニメの影響でサーバルキャットが人気だ。この動物を飼う人はあまりいないだろうが、アニメと同じ感覚で接すれば痛い目に合うだろう。

何かの動物を飼っている人は今回の事故を教訓にペットとの付き合い方を考えてみてはどうだろうか。

批判やアドバイスを真に受けてはいけない

世の中には批判やアドバイスをする人が多い。求めればいくらでも手に入る。ただし、それらはあくまで個人の意見であることを忘れてはならない。どれだけ説得力のある話でも、正しいとは限らないのである。

人は影響力のある人物の話を無批判に受け入れがちだ。私も、心ない人たちの批判に傷ついたり、不合理なアドバイスを鵜呑みにして失敗したことがある。

ところが、そのような経験をしても、また同じ失敗を繰り返してしまう。どうすればこの問題を解決できるか今はわからない。とりあえず自分を戒めるためこの記事を書くことにした。

テレビ朝日の「きりたんぽ」問題について考える

テレビ朝日で「サヨナラ、きりたんぽ」というタイトルのドラマが放送されるらしい。その内容は、主人公の女性が自分を裏切った男性などを「成敗する」というもので、番組のサイトには、主人公の特徴を阿部定(戦前に交際していた男性の下腹部を切り取った女性)に例えた記述があったそうだ。

この出来事を知った秋田県は「秋田の特産品であるきりたんぽが不適切に扱われている」としてテレビ朝日に番組タイトルの変更を申し入れた。秋田県が怒るのは当然だ。長い期間をかけて育て上げたブランドイメージをバカ番組のために潰されてはかなわない。

テレビ局は、時々世間の感覚とズレたことをする。何日か前にフジテレビで「アナと雪の女王」が放送されたが、そのエンディングに、視聴者やテレビタレントを出演させて不評を買ったばかりだ。

彼らは、エンディングにテレビタレントを出演させることで、映画館やDVDとの差別化を図ったつもりなのだろうが、視聴者からすれば余計なお世話としか言いようがない。テレビで映画を観る人は、映画が見たいのであって、知らない子供やテレビタレントを見たいと思っていないからだ。

このような事は他にもある。私がテレビを見ていて中で一番不快に感じたのは東日本大震災のときに行われた震災チャリティー番組である。彼らは被災地を応援するとしてバカみたいな歌をつくり必要以上に騒いだかと思えば、悲壮感をただよわせ今にも泣き出しそうな雰囲気で視聴者を不安にさせたりしていた。

被災者が望むのは「普通の生活に戻ること」であり、励ましや同情ではない。ところが、「普通」では目立たないため、彼らは感情を煽る事をやめなかった。

ネットでは、テレビが嫌なら見なければ良いという意見を目にする事がある。その意見は正しい。実際、私は以前に比べテレビを見る機会が減った。きりたんぽの話もネットで流れてきたニュースを拾ったものだ。

世の中には、人生の貴重な時間を使って、つまらないテレビを見ては文句を言う人がいるそうだが、そういう人は一度テレビの電源を切って他の事をしてみると良いと思う。そうすれば気分が落ち着き、些細な事でイライラしなくなるだろう。

「伝える文章」と「見せる文章」

ブログを書いていて気づいたことがある。文章には「伝える文章」と「見せる文章」があるということだ。

伝える文章とは、読者に自分の意思を伝えることを目的とした文章である。「説明 報告 紹介 主張 助言 提案」などがこれにあたる。一方、見せる文章とは、自分の意思を伝えることを目的としない内省的な文章である。「日記 評論 コラム エッセー」などがこれにあたる。

見せる文章は「常体」で書いた方が良い

私は今まで全ての文章を「敬体(です ます)」で書いてきた。その方が読みやすいと思ったからである。しかし、日記や評論などの内省的な文章に「敬体」は合わない。自分の考えや感情を他人に向けて語りかける行為はどう考えても不自然だ。

書籍や新聞、雑誌の記事をみても内省的な文章に敬体を使っている人はいない。例外として小学生の感想文があるが、成人した大人が同じことをすると幼稚な印象を与えてしまう。そのため、これから「見せる文章」を書くときは「常体(だ である)」を使うことにする。

できればこれまで書いた記事も常体に直したいが、それには膨大な時間がかかるため今はそのままにしておく。

貧困から抜け出すには何が必要か

時々、テレビや雑誌などで貧困特集が組まれることがあります。「貧困女子」「子供の貧困」などキャッチーな見出しをつけ、低所得者が困っている様子を見せた後、「政治が悪い」と言って終わるお決まりのパターンです。

ところが、貧乏だと言う人たちの行動をよく見てみると結構無駄が多い気がします。金がないという割には家の中に物がたくさんあったり、自炊をせずスーパーやコンビニで割高な惣菜を買って食べたりしています。

おそらくは人並みに暮らしたいという気持ちがこのような行動をとらせているのだと思います。

貧困から抜け出すには、生活上のあらゆる無駄をなくし効率よく金を稼がなければなりません。しかし、彼らは目の前の生活にとらわれ、効率よく稼ぐための知恵をはたらかせることができません。できない言い訳をしては問題を先延ばしにし自分の身の上を嘆きます。

人はストレス状態に置かれると思考力が低下し冷静な判断ができなくなるためこれは仕方のないことだと思います。ですがこのままだといつまで経っても貧乏なままです。

では、どうすればよいかというと、これはもう考えるしかありません。深呼吸をして心を落ち着かせ、からまった糸を解きほぐすように人生の課題を整理するのです。

あとは優先順位を決め、食事と睡眠以外の時間を課題の処理に費やせば、大金持ちにはなれなくても、それなりの生活を送ることができます。

アスクル倉庫火災と傍観者効果

事務用品通販大手のアクスルの倉庫の大規模な火災で、消防などの関係者が原因調査を行いました。その調査の中で出荷当日、フォークリフトでダンボールの搬出作業をする際、リフトのタイヤがダンボールの上で空転し煙が出ていたという証言がありました。

タイヤの空転と火事との関係は不明ですが、ダンボールから煙が出ていたのですから危険であることは間違いありません。にもかかわらず現場の作業員が対応しなかったのはなぜかというと傍観者効果が働いたからです。

傍観者効果とは、事件・事故などで目撃者が多数いるにもかかわらず、目立ちたくない、だれかほかの人が助けるだろうなどの理由から、援助行動が起こりにくくなる現象をいいます。

会社勤めをしたことがある人ならわかると思いますが、一従業員が積極的に何かをすると「余計なことをするな」と白い目で見られることが多いため組織内で地位が低い人は目立つことはしません。

そうなると今回の火災は出る杭を打つ日本社会の問題とも関連してきます。

仮に火事の原因がフォークリフトの運転だとして、運転手や傍観した作業員を罪に問えるかどうかは微妙なところだと思います。倉庫には窓などが少なく、放水が直接できなかったそうなので、会社の防火対策そのものに問題があるからです。

会社と従業員との間で面倒なことにならなればいいですね。